今月の半ば、年末になり忙しくなる前に岡山の施設に入っている母に会いに行くために準備をしていました。施設に面会の予約を入れ、ホテルや新幹線の手配をしているまさにその時でした。岡山の弟からの電話は母の死を知らせるものでした。秋ごろから食欲がなくなったと聞いていたので覚悟をしていましたが、最期に会えなかった事は心に悔いが残りました。
急遽、夫の分のチケットも追加し面会の旅が告別式への旅となりました。安らかな顔で眠っている母に、間に合わなくてごめんね、と話しかけると何度もこなくても大丈夫だよと言ってくれているようでした。生前の母は合理的で物事にこだわらない人だったので私の事を思いやってくれたのかもしれません。感謝とともに穏やかな気持ちで送る事ができました。
既に亡くなった父は私と似ていました。感性が細やかで歴史や文学が好き。性格も趣味も似ていました。時代小説や時代劇の話で盛り上がっていると、全く関係のない話で母が割り込んできたものでした。私が住んでいる埼玉に母が来た時も田舎にいる時と同じように見知らぬ人に話しかけ恥ずかしくなる程でした。とにかくマイペースで気にしない性格。父が亡くなった後も積極的に施設の生活を楽しむ社交性もありました。
私は感受性が強い子供だったので母にはわかってもらえていないとずっと思っていました。むしろ母の大雑把な感じが苦手で私とは水と油だとずっと思っていました。祖母が二人は似ているところがあると言っていましたが、嫌みのように聞こえていました。
今、しみじみと母と私は似ていると感じています。物おじしないところは母譲りです。父の繊細さと母の大胆さが私の中に共存しています。
亡くなってまだ日が浅いせいか、まだ岡山に母が暮らしているような気がしています。またすぐに岡山に行きたくなるかもしれません。でも私は良いことも悪いことも含め母との思い出とともに母譲りの性格を生かして楽しみながら生きていくつもりです。
