主なしとて

ご近所のおばあさんがお亡くなりになったのはもう4、5年も前の事。
一人暮らしだったおばあさんは猫とお花が大好きだったらしく、いつも色
とりどりの花が家の周りに咲いており、大人しい飼い猫がちんまりと日向
ぼっこをしていました。

今は時折、娘さんが泊まりに来て、家に風を入れたり、雑草を抜いたりし
ておられます。変わらず庭には花が溢れ、春は桜、それからジャスミン、
そして今日は紫陽花が咲き誇っていました。主がいなくなった今も変わら
ず美しい花が咲く。多分、適材適所、植物にとって一番良い場所に植えて
おられたのでしょう。毎日水をやったり手入れをする事はないのにずっと
変わらない。おばあさんの愛情と植物の強さを感じます。

変化していくものと変わらないもの。そんなに親しかったわけではないけ
ど、花を通しておばあさんに触れた時、姿がなくなった今でもおばあさん
が大切にしていたものがそこにあるのを感じます。それは生き様だったり
想いであったり。変わらないものは確かにある。だからこそ日々を生きて
いくのだと。

私も50歳を超え、求めるものも少なくなり、どう生きるべきかを考える
ようになりました。まだまだ答えは見つかりませんが瞑想を通して自分を
見つめる旅の終盤へと差し掛かったのでしょうか。私が何を残せるかはわ
かりませんが自分に対して思い残す事がないように日々を暮らしていきた
いものです。

空家になったおばあさんの家も、ゆくゆくは解いて売りに出されると聞き
ました。私が受け取ったものを大切にし、花を見られる日まで楽しませて
頂こうと思っています。