義父の誠実さ

この秋、亡くなった義父は大正生まれでした。東京の下町で育ち、兄弟も多く長男であったため早いうちから奉公に出て、志願して戦争にも行ったそうです。義父は戦争の話はあまりしたがりませんでしたが、「食い扶持を減らすためによぅ」と志願した理由を話していた事があります。また多くの戦友を亡くしたとも。戦後も苦労して働き、夫と義姉の子供二人を大学まで出しました。義母はこれまでの苦労話をよくする人ですが、義父は「俺はキライなんだよ。」と苦労のくの字も話さない人でした。

私が夫と結婚した時にはすでに70代の後半。私にとっては祖父の感覚でした。それでも電車に乗っている時に若い学生さんが義父に席を譲ってくれた時には、「美穂ちゃん座らせてもらいな。」と私に座らせて自分は立ち続ける。そんな人でした。

数年前、義父が骨粗しょう症になり、毎日皮下注射をすることが最善の治療だとわかった時、私は義父のためなら毎日通って注射をしてあげようと決めました。骨折で痛がる義父を見るより毎日通って痛みが減るなら楽なことだと。結局一年半、皮下注射を続け、その成果があったのか義父は最後まで自分の足で歩くことができました。車椅子はみっともなくていやだと義父はいつも言っていたのでそのことだけは良かったと思っています。

義母が認知症になってしまい、私にひどい事を言った時には「代わりに謝るから許してください。」と泣いて謝ってくれた義父。本当に心優しい人でした。

葬儀の際、喪主をを務めた夫の挨拶の一文です。「父は学もなく、りっぱな職歴もありませんが、最後まで呆けることもなく、自分の足で歩き、誰にも迷惑をかけないあっぱれな人生でした。」本当にその通りだと涙が止まりませんでした。誰もが義父を誇りに思い、義父は97歳の天寿を全うしました。

縁あって娘となり、共に過ごすこした日々。純粋で誠実で不器用で、義父の魂はとても清らかだったとしみじみ思います。今年最後のコラムで義父を偲んで思い出を書かせて頂きました。