関東では急に冷え込み秋めいてきました。数日前まで暑さでふぅふぅ言っ
ていたのが遠い昔のような気がします。
その暑さ真っ只中のお盆に、久し振りにお墓参りの為故郷へ行ってきまし
た。数年前に両親は弟が住む街のケアハウスへ入居したので、故郷の実家
は空家状態です。時折近くに住む親戚がお掃除をしてくれたり、お庭の畑
を使ってもらっている近所の方が草取りをしてくれたり。家が変わらずあ
るのはありがたい事です。
今回の帰省は墓参りと共にもう一つ目的がありました。家に置いたままに
なっている必要な物を持ってくるという事でした。父は体調を考慮し帰省
しない事となったので、父が作成した持ってくる物リストと共に、母と弟
の車で帰省しました。
久しぶりの実家。父と電話で確認しながらリストの物を探すのですが中々
見つかりません。父の覚え間違いもあるかもしれませんし、その後親戚が
片付けてしまったのかもしれません。限られた時間の中で全部を探すのは
大変でした。その中の一つ、飾り皿について父に「見つかった場合どうす
るのか」と聞いてみました。すると父は「価値のあるものだから私か弟に
くれる」と言うのです。その時、父が大切だと思っている物は価値がある
もの、大金を出して買ったものだとわかりました。骨董好きだった父のお
宝は私や弟にとって、価値があるとは限りません。見つかったとしても二
人共、父のように飾らないだろうと思います。父の気持ちは嬉しいのです
が、大切な物は父の想いだけ受け取り過去の物として置いていくことにし
ました。
母は一生懸命古着を詰め込んでいました。そんなにいらないでしょうと私
が言っても、あの時に買った服、着ていた服と、まるで思い出を詰め込ん
でいるようでした。
私は子供の頃のアルバムを持って帰る事にしました。それさえもいらない
と思ったのですが義妹の「要りますよ~」の一言でまぁいいかなと。だけ
ど一番大切だったのは昔の気持ちを思い出した事でした。瞑想を始めた
頃、苦しみから解放されたいとひたむきに瞑想をしていた若き日の私の気
配が、かつての部屋に残っていました。
大切な物は形ではない。物は変化していくけれど、変化しないものこそ大
切なんだと感じた故郷への旅でした。そしてあの時のように瞑想に取り組
もう、そう思えた事が私にとって一番のお土産となりました。