良心となる

今年は秋が早いようです。昨年の今頃、とにかく暑かったことを覚えています。昨年、9月の初め、義父が亡くなり、昨年の今頃はふうふう言いながら病院、施設と通っている最中でした。

あれから一年、もうすぐ一周忌がやってきます。この一年間、慣れないながら夫と仏事をしたり、お墓参りに行ったり。また義両親の住んでいた家を片づけたりしてきました。春に体調を崩した義母もやっと元気になったので、お義父さんだったらお義母さんにどうしてあげたいかしらと義父の気持ちを考えながら義母に接してきました。

先日、とあるタレントさんのブログを偶然読んだのですが、その方は大切なペットのワンちゃんを亡くされ、その心情を綴っていらっしゃいました。悲しさや喪失感にフォーカスするよりそのワンちゃんの残してくれたものに感謝したいと。そしてそのワンちゃんは良心となって心で生きているので望まない生き方はしないという言葉が心に残りました。

亡くなった命はそこで終わりではなく。例えば私が義父の生前の在り方を思い出し、義父だったらどうするかしらと想う時、良心となり支えてくれているのだと思いました。

大きな台風が去った翌日、義父は逝きましたが今年は災害などない九月であってほしいと願っています。