自我と転倒

今月の半ば、母が転倒し肩を骨折してしまいました。
すぐ入院、手術となり慌てて行ってきました。施設のケアマネジャーさん
が、「いつも気を付けるよう声掛けをしているのだけど、その時は返事は
いいけど注意力が散漫になられて。」と残念そうにお話ししてくださいま
した。

高齢で注意力が散漫になったのも原因があるかもしれませんが、母は元々
あまり人の話を聞かないところがありました。子供の頃、母に話をしなが
ら聞いてもらえていないと感じる事が度々ありました。それはきっと母が
人間関係で苦労したからだろうと瞑想を始めてから感じる事ができまし
た。瞑想で私は変わる事が出来たので母との関係はとても良好に変わりました。
社交的で明るい母ですが、人の話を真剣に聞いたり受け入れたりすること
はやはり難しいようでした。適当に返事をすることでごまかす自我は変わ
ることがないのだと思いました。

お蔭で経過もよく、母は先日退院しましたが、入院前は押し車を押しなが
ら歩けていたのに、今のところは車いすでの生活です。手のリハビリを施
設でしている状態ですが、高齢なので回復具合が心配です。
また先日、義母も施設で転んでしましました。定期的に行っている病院へ
連れていくため施設へ迎えに行き、玄関で外履きに履き替える時のこと。
いつもは玄関にある椅子に腰かけて靴を履くので、「椅子に座って靴を履
いてね。」と声をかけました。なかなか座ろうとしないので「履かせてあ
げるから座ってね。」と言って事務所にタクシーを頼んだ時でした。立っ
たまま靴をはこうとして靴のマジックテープを直そうとかがんだ時に前の
めりに転倒してしまったのです。幸い大事には至りませんでしたが、そば
にいたのに転倒させてしまい私もショックでした。

その後、義姉に相談したら「せっかちで人の話を聞かない性分だからしょ
うがないよ。」と慰めてくれました。以前は私の話もよく聞いてくれてい
たという印象でしたが、認知症になってからは私に対しても「うるさい」
と言ったりします。それが義母が心の中に隠していた気持ちなのかと思っ
たりします。

母や義母を見ていると年をとると自我が隠しきれなくなる怖さを感じま
す。若い時は自我は人間関係など苦しみの原因になりますが、高齢になっ
ても怪我の原因になったりするのだと。特に認知症になると理性的な部分
がなくなり感情面だけになるのでその人の本心、自我だけとなり周りの人
も本当に大変です。

瞑想で自我から離れる大切さを益々感じる出来事でした。