すべては変化する

新緑眩しい季節となりました。この季節になると思い出す光景があります。

まだ私が独身だった頃。山陰の小さな町で両親と祖母と四人で暮らしていた頃の
ことです。瞑想を始める前は家族に対して反発していた私ですが、瞑想を始めて
からは家族の関係も変化し、仲良く暮らしている頃でした。
仕事を終え、輝く緑の中を車で帰宅すると、庭の椅子に腰かけた祖母が「お帰り」
と微笑みながら迎えてくれます。その頃我が家には祖父が残した数十鉢の色とり
どりのさつきの鉢植えがありました。一斉に咲き出したさつきの手入れは祖母の
仕事で、「大変だよ。こんなにあるから・・・」と枯れた花を摘みながら言う祖母のそ
ばでは父が庭の木々に水を撒いていました。台所からは母の「たけのこを頂いた
から山椒を取ってきね」と声が聞こえます。それぞれが元気で、穏やかに過ぎてい
く春の夕暮れの光景です。
私は庭の山椒の新芽を摘みながら、なんて幸せな光景なのだろう思っていまし
た。それと同時に永遠に続きそうなこの時もいつかは変化していくだろう。だから
今のこの瞬間の家族の時間を覚えておこうと思いました。

すべては変化していく。瞑想を通して金井先生から学んだことです。今が幸せなら
変化を恐れ執着をすれば苦しみになるでしょう。反対に不幸なら変化は救いにな
ります。すべてが変化するのなら、変化性を受け入れ、瞬間瞬間を生きるしかあり
ません。

それからしばらくして私は結婚で埼玉に移り、数年後に祖母も亡くなりました。沢
山あったさつきの鉢植えは父が人に譲り、山椒の木も切り捨てられたようです。
今は埼玉で新たな家族の時間が変化を続けています。田舎の両親も年をとってし
まいました。もう少しすると故郷の山々は合歓の花のピンク色が加わりさらに美し
く変化することでしょう。

時折思い出す心に刻んだ光景は永遠です。懐かしさとともに感謝の気持ちが広が
っていきます。その時間が私に力を与えてくれてるようです。
これからも変化を受け入れ、楽しみながら今を生きていこうと思っています。